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ココロの水の中に浮かぶ          数えきれないこの思い。           ぷかぷか浮いてどこへいくのだろう。     貴女の心に響けば嬉しい。
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カテゴリは真面目だがほぼ戯言。


自分は「音楽」である和太鼓を3年間やっていた。そして「スポーツ」としての和太鼓も3年間やった。

所作、体力、そして心。

これらはスポーツでの最重要である「心技体」に当てはまるものである。


そして当然のように「スランプ」という心の壁にもぶつかる。
今まで出来ていたことができないと感じる。今の自分に納得がいかない。そこからくる絶望感と脱力感。

それは当たり前だが自分にも来たもので、自分はそれを「太鼓叩きたくない症候群」と呼んでいた。

しかしそこで落ち切るところまで落ちることはなかった。落ちるところまで落ち切るということは、なにも自分の中に支えが無くなるということだと思うから。
自分には仲間や後輩はもちろん、自分達の演奏を聞いてくれる人たちも自分の中での支えだった。


ある公園での演奏を例にしてみると、自分は演奏中、曲の中で大きなミスをしてしまった。それは誰もがわかるミスで、その公演の中では最大のミスだった。

そして演奏が終わり、少し落ち込んでうつむきながら下がっていくと二人のおばあちゃんと介護士の人が自分に声をかけてくれた。


「ありがとう。本当によかった。お兄さんを見ているとすごく元気が出た。」

「これから生きていく元気をもらった。本当にありがとう。」


今さっき会って見ていただけの自分に、一人はずっと笑顔で、もう一人は泣きながら自分の手を握っていてくれた。介護士さんもおばあちゃんにつられて泣いていた。
自分ではこの人たちにこれから生きる元気をあげようとか、そんな大層な事を思っては当然叩いてはいなかった。というよりも、演奏中は自分がミスしたこともあり、頭の中はもう精一杯だった。
しかしそんな自分の演奏でも笑顔でありがとうを言ってくれたり、感動して泣いてくれたりするそんな人たちがすごく心の支えになった。



完璧な技術というのは、自分はできなかったけど多分あるんだと思う。

でも完璧な演奏の成功というのは、自分たちで計れるものじゃないし自分たちで決めれるもんでも多分ない。

もしあるのならば、それはたった一人でも心から笑顔で拍手をしてくれたり、たった一人でも心から感動して涙を流してくれる人がいたりしてくれるのが、本当の成功なんじゃないだろうか。



決して自分の技術だけでは人を笑顔にはできないと思う。心はからっぽで、ただ演奏でも今を凌ごうとか、しんどいなとか思ってたら、自分を含めて誰も楽しそうではなかった。そしてそういう時にミスをする。

笑顔になってくれるのは自分がこの人たちに笑顔になってもらいたいとか、楽しんでもらいたいとか何か伝えたいことを思いながら演奏していれば、その思いは伝わるのだと思う。少しのミスでも伝わるものがあれば、それはマイナスではない。


たった一度の出会いになるかもしれないなら少しでも多くの人に「楽しかった」と言って帰ってもらいたい。
その一度の出会いを本当に大切にできるようになれば、人間としても大きくなれるし、技術面でも大きな支えを得ることになる。



と威張って書いてるが、自分がこれに気づけたのは3年の中盤だった。
もう少し早く気づいていればもっともっと楽しんでいけて、もっともっといろんな人の笑顔が見れたのではないかと思った。



そう思うと






またもう一度舞台に立ちたい。







そんなことを考える。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


と若干自分で見返してると「なんだこいつえらそうに!」と思ったのは内緒ですよ(笑
ということは見た人もそう思うのか!((;゚Д゚)ガクガクブルブル 


ということで今日の戯言でした~( ´ ▽ ` )ノ シ
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触れてるようで全然触れてなかった話題。


プロフィールにもあるように、自分は和太鼓やってます。(ここ見てる人は大概知ってるか)
そんながっちりした祭事の時とかにやる宮太鼓ではない、どちらかといえばもっとエンターテイメント性が強い物だと自分は思います。


表現、振り付け、声、そして一番は自分と観客の人達の鼓動と調和する太鼓の響き。
どれもまだまだ自分にはいたらない物です。




ふと極々たまになんですが、今自分は何を考えながら叩いたらいいんだろう、という考えに駆られることがある。



鏡の自分を見ながら次の公演での成功を思い叩いてる自分。


もっともっと上へのスキルアップを目指す自分。


自分の表現が自分でも格好いいと思えるかを見ている自分。


周りの下の子達への見本になるように叩こうとしてる自分。



女の子がどうしても多いのでどこかカッコつけてそういう風に見られたいと思う自分をアホやなぁと思いながら叩いてたり、同じ仲間と一緒に叩いてるのが嬉しかったり、普通の時はあまり気が合わない奴でも太鼓を叩いていたら凄くコイツと叩けてよかったと心から思ったり。


そんな事が高校2年の時ぐらいまでは余裕があったのか、ずっとバカみたいに考えながら叩いていた。


でも最近はそんなバカな、今まであたりまえのような事をあまり感じられずにいる。



今叩かないと。


あと3ヶ月、叩けるだけ叩かないと。



そんな考えがずっとよぎる。
自分でもわかってる。最近自分の一打に1、2年前ほどの思い切りと大胆さ、そして深みが無い。


悪い方向の雑念の塊。一打の思いの軽さ。それに慣れてしまっている自分。


確かに技術は高まっているのかもしれない。太鼓の知識も多く学んだ。
しかしそれが観客を魅了し、ワクワクさせ、高校生でもこんなに楽しく、時には真剣な眼差しで太鼓を叩けるのかという心をもってくれるとは限らない。


高校生の若さ、大胆さ、楽しさ、それに惹きつけられる魅力。
今の自分には何も無い。
それが今日少し叩いた太鼓の中から一気に見えた気がした。
馬鹿な言い方をすると


太鼓が悲しんでいる、泣いている。


そんな気がした。


自分がバカみたいに高望みしすぎているだけなのかもしれない。このあと3ヶ月弱しか叩けないと言うプレッシャーがあるからだけなのかもしれない。
ただ今日はそんな「絶望感」だけを太鼓から感じた。


泣きそうになった。押しつぶされそうになった。


もしあの場が自主練で、自分一人だったとしたら泣き崩れていたかもしれない。



ふがいない



ただその一言。


でもそれ以上に





もっと和太鼓がやりたい






そう思った。
AO入試の1次結果が先日とどきました。

結果

「あなたはAO入試1次試験(自己推薦)に合格しました」



゜゜。。゜゜(⊃ д `)。゜゜。。うわぁぁぁん


1次うかったよ!!うかっちゃったよ!!!
次の2次もがんばるよ!!!


でも届けられたのが郵便配達の人からじゃなくて郵便配達の人が新聞受けにいれちゃったから夕方まできづかなかったってのは内緒ですよ(=゜ω゜)ノ 
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