ココロの水の中に浮かぶ 数えきれないこの思い。 ぷかぷか浮いてどこへいくのだろう。 貴女の心に響けば嬉しい。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
カテゴリは真面目だがほぼ戯言。
自分は「音楽」である和太鼓を3年間やっていた。そして「スポーツ」としての和太鼓も3年間やった。
所作、体力、そして心。
これらはスポーツでの最重要である「心技体」に当てはまるものである。
そして当然のように「スランプ」という心の壁にもぶつかる。
今まで出来ていたことができないと感じる。今の自分に納得がいかない。そこからくる絶望感と脱力感。
それは当たり前だが自分にも来たもので、自分はそれを「太鼓叩きたくない症候群」と呼んでいた。
しかしそこで落ち切るところまで落ちることはなかった。落ちるところまで落ち切るということは、なにも自分の中に支えが無くなるということだと思うから。
自分には仲間や後輩はもちろん、自分達の演奏を聞いてくれる人たちも自分の中での支えだった。
ある公園での演奏を例にしてみると、自分は演奏中、曲の中で大きなミスをしてしまった。それは誰もがわかるミスで、その公演の中では最大のミスだった。
そして演奏が終わり、少し落ち込んでうつむきながら下がっていくと二人のおばあちゃんと介護士の人が自分に声をかけてくれた。
「ありがとう。本当によかった。お兄さんを見ているとすごく元気が出た。」
「これから生きていく元気をもらった。本当にありがとう。」
今さっき会って見ていただけの自分に、一人はずっと笑顔で、もう一人は泣きながら自分の手を握っていてくれた。介護士さんもおばあちゃんにつられて泣いていた。
自分ではこの人たちにこれから生きる元気をあげようとか、そんな大層な事を思っては当然叩いてはいなかった。というよりも、演奏中は自分がミスしたこともあり、頭の中はもう精一杯だった。
しかしそんな自分の演奏でも笑顔でありがとうを言ってくれたり、感動して泣いてくれたりするそんな人たちがすごく心の支えになった。
完璧な技術というのは、自分はできなかったけど多分あるんだと思う。
でも完璧な演奏の成功というのは、自分たちで計れるものじゃないし自分たちで決めれるもんでも多分ない。
もしあるのならば、それはたった一人でも心から笑顔で拍手をしてくれたり、たった一人でも心から感動して涙を流してくれる人がいたりしてくれるのが、本当の成功なんじゃないだろうか。
決して自分の技術だけでは人を笑顔にはできないと思う。心はからっぽで、ただ演奏でも今を凌ごうとか、しんどいなとか思ってたら、自分を含めて誰も楽しそうではなかった。そしてそういう時にミスをする。
笑顔になってくれるのは自分がこの人たちに笑顔になってもらいたいとか、楽しんでもらいたいとか何か伝えたいことを思いながら演奏していれば、その思いは伝わるのだと思う。少しのミスでも伝わるものがあれば、それはマイナスではない。
たった一度の出会いになるかもしれないなら少しでも多くの人に「楽しかった」と言って帰ってもらいたい。
その一度の出会いを本当に大切にできるようになれば、人間としても大きくなれるし、技術面でも大きな支えを得ることになる。
と威張って書いてるが、自分がこれに気づけたのは3年の中盤だった。
もう少し早く気づいていればもっともっと楽しんでいけて、もっともっといろんな人の笑顔が見れたのではないかと思った。
そう思うと
またもう一度舞台に立ちたい。
そんなことを考える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と若干自分で見返してると「なんだこいつえらそうに!」と思ったのは内緒ですよ(笑
ということは見た人もそう思うのか!((;゚Д゚)ガクガクブルブル
ということで今日の戯言でした~( ´ ▽ ` )ノ シ
自分は「音楽」である和太鼓を3年間やっていた。そして「スポーツ」としての和太鼓も3年間やった。
所作、体力、そして心。
これらはスポーツでの最重要である「心技体」に当てはまるものである。
そして当然のように「スランプ」という心の壁にもぶつかる。
今まで出来ていたことができないと感じる。今の自分に納得がいかない。そこからくる絶望感と脱力感。
それは当たり前だが自分にも来たもので、自分はそれを「太鼓叩きたくない症候群」と呼んでいた。
しかしそこで落ち切るところまで落ちることはなかった。落ちるところまで落ち切るということは、なにも自分の中に支えが無くなるということだと思うから。
自分には仲間や後輩はもちろん、自分達の演奏を聞いてくれる人たちも自分の中での支えだった。
ある公園での演奏を例にしてみると、自分は演奏中、曲の中で大きなミスをしてしまった。それは誰もがわかるミスで、その公演の中では最大のミスだった。
そして演奏が終わり、少し落ち込んでうつむきながら下がっていくと二人のおばあちゃんと介護士の人が自分に声をかけてくれた。
「ありがとう。本当によかった。お兄さんを見ているとすごく元気が出た。」
「これから生きていく元気をもらった。本当にありがとう。」
今さっき会って見ていただけの自分に、一人はずっと笑顔で、もう一人は泣きながら自分の手を握っていてくれた。介護士さんもおばあちゃんにつられて泣いていた。
自分ではこの人たちにこれから生きる元気をあげようとか、そんな大層な事を思っては当然叩いてはいなかった。というよりも、演奏中は自分がミスしたこともあり、頭の中はもう精一杯だった。
しかしそんな自分の演奏でも笑顔でありがとうを言ってくれたり、感動して泣いてくれたりするそんな人たちがすごく心の支えになった。
完璧な技術というのは、自分はできなかったけど多分あるんだと思う。
でも完璧な演奏の成功というのは、自分たちで計れるものじゃないし自分たちで決めれるもんでも多分ない。
もしあるのならば、それはたった一人でも心から笑顔で拍手をしてくれたり、たった一人でも心から感動して涙を流してくれる人がいたりしてくれるのが、本当の成功なんじゃないだろうか。
決して自分の技術だけでは人を笑顔にはできないと思う。心はからっぽで、ただ演奏でも今を凌ごうとか、しんどいなとか思ってたら、自分を含めて誰も楽しそうではなかった。そしてそういう時にミスをする。
笑顔になってくれるのは自分がこの人たちに笑顔になってもらいたいとか、楽しんでもらいたいとか何か伝えたいことを思いながら演奏していれば、その思いは伝わるのだと思う。少しのミスでも伝わるものがあれば、それはマイナスではない。
たった一度の出会いになるかもしれないなら少しでも多くの人に「楽しかった」と言って帰ってもらいたい。
その一度の出会いを本当に大切にできるようになれば、人間としても大きくなれるし、技術面でも大きな支えを得ることになる。
と威張って書いてるが、自分がこれに気づけたのは3年の中盤だった。
もう少し早く気づいていればもっともっと楽しんでいけて、もっともっといろんな人の笑顔が見れたのではないかと思った。
そう思うと
またもう一度舞台に立ちたい。
そんなことを考える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と若干自分で見返してると「なんだこいつえらそうに!」と思ったのは内緒ですよ(笑
ということは見た人もそう思うのか!((;゚Д゚)ガクガクブルブル
ということで今日の戯言でした~( ´ ▽ ` )ノ シ
PR
この記事にコメントする
カレンダー
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
ブログ内検索
アクセス解析